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ナナイロノオトナミ

日々日常の心模様、音色、丸ごと日記。

ご報告

ちょうど1週間前から、
我が家の長寿猫(20歳と約9ヶ月)が徘徊や、
粗相が出始めたのですが、
本日日が変わってすぐ(深夜1時)に、
旅立ちました。
玄関の方ばかりに行きたがっていたので、
死期を悟って(徘徊ではなく)外に出ようとしてたのかな、
と、今になってそう思います。
姉妹のチコが亡くなってから2年2ヶ月と1週間。
私達家族の元に来てくれて、
本当に長い間癒しや心の支えになってくれました。
寂しい思いは勿論ありますが、
残るのは愛だけです。
この思いをしっかり味わい切りたいと思います。


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投影と象徴

相手が私の投影であるとはどういうことか?
それを考えればいいと言われていたのだけど、
結局、象徴として見なければ、
自分の投影として見る事はできないから、とも。
いまだに象徴として見る事が癖付いてはいないのだな。
師匠の言うように固有名詞で見ちゃうと捉われる。
でも近しい人を象徴として見ようとすると、
線引きができずこんがらがる。
いや、それがそもそも捉われていると言うことか。
投影として見る相手が、
多すぎるように感じているのかもしれない。

(こんな時だからこそ、
もう一度、何の為にやるのか?
何を得たいのか?を問われているし、
問う必要がある。)


許容

自分自身を本気で変えるというのは、
職場の状況とか子ども達や相手の反応を
変えようという発想でやるのではない。
そういうものが一切変わらなかったとしても、
これまでの風景が地獄でもなんでもない、
普通の風景に見えるくらいの反応になったら、
という所を1つの目安にするのは有効だ、と。
相手を変えようとすればする程、
(その時の私の心情は何で分からないかなぁ、
とか、いい加減にして!というものだった。)
可愛い好きだなぁと思えてた対象物が、
何とも憎たらしくとてもじゃないけど、
かけがえのないものだなんて思えなかった。
それどころか、それでもし相手が変わったとしたら、
きっと私が変えてやった!と、
勘違いの傲慢がエスカレートしている。
でも何故変わらないと、
こんなにも諦めの思いが出てくるんだろうか?
師匠はある程度許容していかなきゃいけないことかもしれない、
とも言っていたんだ。
言葉をただ言葉として捉えるのではなく、
その本当の意味を知りたいと思うのです。
許容って、実はどういう事?
それは、許す(赦す)って本当はどういう事?
と同じなんだと思う。



自己洞察の目的

同じことが起きても自分の反応が変わるとは、
それがもう問題ではなくなると言う意味。
それが本当の自己洞察を通して、
変化するという意味。
おそらくそれが本当に認識できたら、
外の現実が変わるんだろうと言っていた。
外の現実を変えよう!が自己洞察の目的になってると、
一番大切なものを見誤る、とも。
飲まれていると、
自分の反応が変わったなんてことすら気付かないのではないか?
認識できないうちは外の現実を変えようとすることに躍起になる。
そのうちにやっぱり変わってなかったと、
ガッカリする。
それこそ、一生膿んでるような傷を
抱えて生きる事なのではないかと思った。
今一度、私の自己洞察の目的が何なのか?
自分に問いかけた方がいい。



反応が変わる?

バシャールの古い言葉で、
変化というのをどこに観るかという話が出ていた。
もっと本質的な変化についてのエッセンス。
色んな自己洞察を通して、
自分が変わったという認識をどこで得るか?
私も自分は変わったと思い込んでいた。
変わったから現実が変わる筈だと。
自分が変わったというふうに感じても、
現実が変わらないケースがあります、と。
自分の反応が変わる。
師匠はある時期その言葉に物凄い励まされたと言っていた。
私はどうなのだろう?
私は今なお、
外側の現実を変えることばっかりに
目が眩んでるような気がする。
その日中に、とか、何とかここまで、とか、
ちゃんとその意味を理解しようとするのではなく、
囚われてると思う。
ブログをUPする為に、が目的だったならば、
やっぱり何も掴めていない。
今の私に反応が変わることなんて、
本当にあるのだろうか。


無関係じゃない

今の状態が数ヶ月間続いたとして、
でもそれで終わりではなくて、
そこから本当の意味で
自分が色んなことを理解するっていうのが、
どういう意味かったことが分かるようになると言っていた。
これまで分かった事、
理解した事にも段階があったということなんだろうな。
膿出しなんて言葉は以前からよく使っていて、
でもその膿出しもその都度変化したように思う。
今はとにかく眠すぎて、
そしてここ1週間位息が上がりフラフラしている。
全ては繋がっている、なんて、
言葉ではよく言っていたけど本当はよく分かっちゃいない。
でもきっと、無関係じゃないのだろう。


要となるもの

早くという言葉のニュアンスは、
場合によっては数ヶ月だったりすると言っていた。
数ヶ月は今の私には長いなぁとどうしても思ってしまうけど、
これが一生続くような膿んでる傷っていうのは、
一生続くんだったら数ヶ月間それが出てるくらいは早いと思う、とも。
早く早く!と思えば思うほど、
倍以上の期間がかかっていた事は、
これまでに何度もある。
これまでの捉え方の変化を促されてるという事だろうか?
遠回りのように見えて実は近道だった、
という事を身を持って経験するのだろうか。
(私が)マインドで自分自身をどこかで制御する為のツールとして、
そういう認識を持ってて欲しい、と。
場合によっちゃ数ヶ月間この状態になる可能性もあるって事。
どこまで行ってもギリギリの選択を迫られた時に、
要となるものを教わっているんだと解釈している。